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2019年9月10日

福岡民報2019年8月号より

24年間のたたかいで北九州平和資料館建設へ

大石正信(前 北九州市議)

「給水塔」解体に反対し座り込み(1995年)

「給水塔」解体に反対し座り込み(1995年)

戦後74年を迎える今年、北九州市は今年度着工で「平和資料館(仮称)」の建設計画を進めています。戦争に伴う悲惨な体験や生活を知らない世代がほとんどとなる中で、悲惨な戦争の記憶の風化が全国的に懸念され、継承していくことが重要になっています。「平和資料館」の建設にいたる背景には、地元住民の運動があります。今回は、住民とともにたたかってきた、前北九州市議の大石正信さんにその歴史を振り返っていただきました。

戦後50年にあたる1995年に取り組んだ、旧小倉陸軍造幣廠の給水塔保存運動から24年。ついに、市民の粘り強い平和運動で北九州市に平和資料館を建設させることができました。

私は24年前、民青同盟福岡県委員長を卒業し、北九州市職労に就職しました。その時に小倉陸軍造兵廠の存在を知りました。当時、西日本最大の造兵廠として中国への侵略戦争のために砲弾や軽戦車・毒ガス弾・風船爆弾を製造し、小倉は広島に次ぐ原爆投下の目標にされていました。

その小倉陸軍造兵廠に残る給水塔【写真】を平和のシンボルとして保存する「給水塔保存推進会議」を結成。私は、給水塔保存推進会議の事務局長として保存の運動を取り組みました。市に給水塔保存を求める陳情書を提出しましたが、市は市民の意見を受け入れず給水塔を解体するという暴挙に出たため、多くの市民の皆さんとともに座り込みで抵抗しました。その結果、市は給水塔解体の条件として、6分の1のレプリカを大手町公園に建設すること、後世に戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える平和資料館を建設することを約束させました。

翌年には、「北九州に平和資料館をつくる会」を結成しました。小倉北区片野に戦時下の遺品4000点を展示する「平和資料館準備室」を開館し、北九州に平和資料館をつくる運動に取り組んできました。また、毎年の「平和のための戦争展」を通じて、語り部や地下道などの戦争遺跡の見学や「北九州の戦争遺跡」の本を発行。現在は、若松に「北九州平和資料館」をつくり、戦争の遺品の展示や平和のための戦争展の遺品の展示・学校や団体への平和教育を行っています。

戦争の「加害」と「被害」
史実に照らした展示を

北九州市は平和資料館建設に否定的でしたが、こうした24年に及ぶ粘り強い運動に後押しされ、実現にいたりました。

市は資料館のコンセプトとして「戦争の悲惨さと平和の大切さ、命の尊さについて考える機会を提供」とうたっています。

市が行った出前講演では、市民から「『考える機会の提供』をわかりやすく展示するためにも、戦争に至った経緯、誰が戦争を引き起こしてきたのかなどをきちんと展示すべき」など、多数の意見が出されました。そのことを踏まえ、私は昨年12 月議会でコンセプトを具体化するためにも、戦争の加害と被害の両面をきちんと展示した資料館にすべきと市長を質しました。

市は「展示について、市民から寄贈されました資料などをもとに、戦争により大きく変わった人々の暮らし、町の様子、また、北九州を襲った空襲の被害、原子爆弾と小倉、また戦後復興を果たした町の様子をテーマとすることとしております。このような戦前から戦後の北九州に関する展示を通しまして、来館者が当時の人々の気持ちなどに思いをはせ、平和の大切さを考えるきっかけとなること、また、戦後北九州が復興を果たしたことを通して、町への誇りや愛着の心を醸成することにつなげていきたいと考えております。そのため、誰が戦争を引き起こしたのかなど、加害や被害に関する特別な展示を行うことは考えていない」との答弁でした。

北九州市は、侵略戦争の事実を曖昧にしようとしています。これは、新日鉄など徴用工問題で侵略の事実を認めないなどが背景にあると思われます。戦争は人間が引き起こした問題です。平和資料館に加害と被害の両面を展示すべきです。

 
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