北九州市議会議員 候補(小倉南区)
うど浩一郎
宇土こういちろう
1973年9月生まれ。
横代小、横代中、真颯館高等学校(旧・九州工業高校)卒業
横代北町4丁目在住。
1991年 食品会社勤務(東京)
1999年 パン職人めざし修業
2010年 パン工房「あるか」開業 2018年8月まで営業
家族は、妻、三女。
趣味は釣り、ツーリング。
活動地域日田彦山線より東側(隠蓑まで)の10号線方面
1973年、電気設備関係の会社に勤める父と、化粧品会社に勤める母の間に生まれました。子煩悩の両親の間ですくすくと育ちました。
小学校に入ると、地域の野球部「横代ライオンズ」に所属。中学校では陸上部に入り、サッカー部に転入、創設された野球部に入りました。部活はきびしく、「苦しい中でこそ成長」と頑張りました。
高校ではサッカー部に所属。上下関係がきびしく、上級生から殴られるなど日常茶飯事。3年生になった時、みんなで「こんなやり方はおかしい」と話し合い、自由にモノが言える部活になりました。
得意な料理の腕を生かせると、大手スーパー惣菜部では、天ぷら揚げを担当し、「お前の揚げ方を他の店舗にも教えに行ってやってくれ」と言われるほど、上達しました。有名料理店で板前も。
訪問介護では、お風呂に入れたり、食事をつくったり、透析に連れていくなど、介護職の大変さを身をもって学びました。
「何事も全力で」がモットー。どこでも納得するまで頑張りました。
帰郷してバイトをしているときに、すすめられて日本民主青年同盟に加盟、共産党の選挙を手伝うようになりました。共産党候補の訴えは、寮費などを差し引くと月8万円でやりくりしていた東京でのくらしの実感、自らの思いとピッタリと重なり、日本共産党に入党しました。
所帯を持ち子育てに明け暮れ、パン屋の夢が薄れかけたうどさん。しかし1999年、「子どもに喜ばれるからやりがいあるよ」との妻の一言が、強い後押しとなりました。
修業時代は、早朝3時起きでパン作りにとりくみ、気温や湿度に合わせてつくる面白さ、難しさを学びました。
2010年、待望の開業にこぎつけたパン屋「あるか」(北方)。夫妻で懸命に運営しました。生地に練乳を練りこんだ玄米パンは、玄米の量も多く、売れ筋に。クルミパン、アンパン、食パンなども評判でした。
しかし小さなパン屋の売上げには波があり、自ら経営する大変さを日々実感しました。売上げが上がらないときは、様々な結びつきを頼って外に売りに回りました。
経営の最大の難関は消費税の増税でした。2014年4月に税率が5%から8%に上がった時には、材料費含め諸経費がすべて値上がりし、毎月数十万円の支払いに窮しました。
小さな業者ほど大きな影響を受ける消費税は引き下げたい、その思いは人一倍です。
政治の世界に本格的に踏み込んだのは2018年夏。くらしと生業をめぐる様々な願いや苦しみの声を聞いてきました。
ある87歳の女性は、様々な固定費を差し引くと手元に残るお金は1万円。生活保護をすすめると「私が受けるのは申し訳ない」とかたくなに拒みます。説明し、やっと納得してもらいました。区役所に同行し、保護の支給が決定し、ホッとしました。
改めて、「生活保護=恥」という文化が強いと痛感しました。社会に貢献してきた高齢者が、定年退職後も非正規で働いて月1万円しか残らない生活は憲法25条生存権にかかわると考えます。生活保護は当然の権利であり、躊躇するような世の中ではコロナのような危機はのりこえられない、と強く思います。
訪問先では、「年金が減らされて苦しい」「消費税を何とかして」「コロナで子どもが失業して、暮らしていけない」など、切実な声が次々出されます。
コロナ危機にともなう自粛や休業で、売り上げが落ちた自営業者のみなさんの苦境を解決するために、訪問と支援を行ってきました。
「真面目に暮らす人が報われる世の中を」― 私の決意です。
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