統一地方選挙 2023

2、福岡県を戦場にさせない――憲法9条を生かす県政に。

戦後最悪の大軍拡反対

(1)戦後最悪の大軍拡予算に断固反対します

岸田内閣が閣議決定した2023年度予算案は、「戦後の安全保障政策の大転換」を掲げて「専守防衛」を完全にかなぐり捨てることを宣言した「安保3文書」にもとづいて、5年間で43兆円という大軍拡を進める初年度予算であり、「戦争国家づくり元年予算」というべきものです。

軍事費は、再来年度以降の軍事費に充てる「防衛力強化資金」(仮称)への繰り入れを含めて前年度比4・8兆円増の10・2兆円に膨れ上がりました。歳出総額114兆円の9%、歳出増加額7兆円の7割が軍事費関係に充てられるという異常な軍拡予算となり、そのために暮らしの予算が犠牲にされています。まさに、憲法と平和、暮らしを破壊する、戦後最悪の予算案にほかなりません。

予算案は、「安保3文書」が明記した敵基地攻撃能力の保有を具体化する項目が目白押しとなっています。イラク戦争で米軍が先制攻撃に使用した長距離巡航ミサイル「トマホーク」の購入、国産12式地対艦誘導弾を長射程化するための開発と量産、高速滑空弾の研究・量産、極超音速誘導弾の開発、トマホーク以外の外国製ミサイルの取得などです。「3文書」では、日本が攻撃されていない米国の戦争でも、自衛隊がこれらの兵器で相手国に攻め込むことが可能とされており、そうなれば甚大な報復攻撃を受けて日本の国土が焦土と化すことになります。

 軍事費は「防衛力強化資金」への繰り入れ分を除いても6・8兆円で、対国内総生産(GDP)比で1・2%となりました。政府は、これまで60年以上にわたって、軍事費を少なくとも当初予算では「GDP比1%以内」にとどめてきましたが、これを公然と踏みにじるものです。さらに、「軍事費は建設国債の対象としない」というこれまでの政府方針を変更して自衛隊の艦船整備に建設国債を充てるなど、侵略戦争への反省の上に立って築かれた財政のルールを投げ捨て、なりふり構わず軍拡財源を確保しようとする予算となっています。

軍拡のために、暮らしの予算は軒並み削減されました。社会保障費は医療費の削減と負担増、雇用対策費の削減によって1500億円も圧縮され、年金給付は実質削減となりました。中小企業予算、農業予算も連続の削減となりました。軍事費の倍増ばかりが優先され、岸田首相が掲げた「子育て予算倍増」は、まったく看板倒れとなっています。国立病院などの積立金や、コロナ対策資金の一部まで、「防衛力強化資金」の財源に充当されました。物価高騰が国民を苦しめている最中に、暮らしの予算を削って軍事費につぎ込むという、血も涙もない悪政です。しかも、数年後からは、復興特別所得税まで軍事費に流用し、国民に軍拡増税を押し付けることも予定されています。文字通り「軍事栄えて民滅ぶ」予算にほかなりません。

沖縄県の玉城デニー知事は2022年12月23日、県庁で記者会見し、岸田政権が安保3文書で敵基地攻撃能力の保有を明記したことに関し、「敵基地攻撃能力は保有できないというのがこれまでの日本政府の姿勢だ」と指摘しました。また、デニー知事は、敵基地攻撃能力の保有が憲法解釈の点からも「非常に大きな国の姿勢の転換につながる」とし、「国会で十分議論もせず、閣議決定だけで事足りることなのかという問題性が非常に大きい」と批判しました。

安保3文書で南西諸島の軍事強化がうたわれ、台湾をめぐる緊張が高まり軍事衝突の懸念が指摘されていることについて問われたデニー知事は、「政治の最大の責任は戦争を起こさないことだ」と強調しました。そのうえで有事につながる状況を排除するため「国家間における緊張緩和と信頼構築に資するホットラインを常につないでおくことが必要だ」と指摘。「これに向けた取り組みを政府に求めていくのが沖縄県の考え方だ」と述べ、「77年前のように沖縄を再び戦場にすることは絶対にあってはならない」と訴えました。またデニー知事は、自衛隊の増強について「集団的自衛権の行使など憲法で定めている以上のことに突き進むことはアジアや国際社会にとって日本の姿勢をゆがめてしまうものになりかねない」と懸念を示しました。

日本はいま、「戦争か、平和か」の歴史の分かれ目に立っています。自民党・公明党政権は、アメリカいいなりに先制攻撃のための大軍拡をすすめ、「軍事対軍事」の危険な道に突き進んでいます。しかし、世界の本流は「軍事よりも外交」という国連憲章と日本国憲法を生かす方向です。先月、アジアのすべての政党に開かれたアジア政党国際会議がトルコのイスタンブールで行われ、「国際法に基づく紛争解決への唯一の道」が「対話と交渉」だとする「宣言」が採択されました。

戦前の地方は国の出先機関で、若者に召集令状をくばり、戦争に動員しました。「郷土をふたたび戦場にしない」「住民を二度と戦火にさらさない」「若者を二度と戦場に送らない」という憲法の誓いに立ち、国家の戦争への暴走をとめる――日本国憲法に初めて明記された「地方自治」はそのための民主主義の仕組みなのです。こうしたときに、沖縄県の玉城デニー知事の態度こそ、地方自治体の取るべき態度ではないでしょうか。

 いま日本が取り組むべきことは、大軍拡と戦争準備ではなく、憲法9条を生かした平和の外交戦略を進めることです。

  • 安保法制をはじめ一連の違憲立法の廃止、集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回など、立憲主義・民主主義を取り戻すこと、「海外で戦争する国づくり」のための大軍拡を中止し、憲法9条を生かした外交努力で軍縮へと転換すること、核兵器禁止条約に日本政府が署名、批准することを、県をあげて国に求めます。
  • 「安保3文書」及び2023年度予算案に断固反対し、平和と暮らしを守る予算への抜本的な組み替えを求めます。

実効ある非核平和条例を

(2)実効ある非核平和福岡県条例を制定します。

外交や国防は国の専管事項ですが、「非核平和自治体宣言」は、核戦争の危機のなかで、住民の生命と財産を守ることを使命とする自治体が国家にすべてを委託できないとして、国家に対して行う「異議申し立て」とされています。

日本非核宣言自治体協議会は2010年の総会で、結成26年にしてようやく「北東アジア非核兵器地帯」の創設を、はっきりと運動課題に据えました。

単なる宣言に終わらず、法的拘束力を持つ非核条例を制定する自治体(東京都中野区や神奈川県藤沢市など)が現れるとともに、条例のなかに「脱原発」の条項を含んでいるケース(鹿児島県屋久町など)も次第に増えています。とくに、2011年3月11日の福島第一原発の大事故以降、そういう傾向を強めています(東京都多摩市や沖縄県石垣市など)。非核の証明がなければ船舶の入港を許さないとした神戸市の港湾条例は世界的にも注目され、日本各地で非核港湾条例制定の市民運動が起きています。

2010年2月10日に宣言した北九州市の「非核平和都市宣言」には、次のように書かれています。「私たちは、命と平和の大切さを深く認識し、核兵器の廃絶と平和な世界の実現のために歩み続けることを誓い、ここに北九州市を非核平和都市とすることを宣言します。」

  • ただちに「非核平和福岡県宣言」を行うとともに、県内に核兵器を持ちこませないなど、法的拘束力を持つ非核条例を制定するとともに、日本非核宣言自治体協議会に参加し、核兵器廃絶と平和な世界実現のために積極的に行動します。

築城基地の米軍基地化反対

(3)築城基地を米軍の出撃基地にさせません。

「築城基地の米軍基地化反対、運用させない」一点で共同を広げます。

航空自衛隊築城基地(行橋市、築上町、みやこ町)では、2006年に日米両政府が合意した「再編実施のための日米ロードマップ」に基づき、米軍普天間基地の「緊急時使用の機能移転」として、航空自衛隊築城基地における米軍用の施設建設が進められています。防衛省は、「普天間飛行場の全面返還のため、普天間飛行場が有する三つの主要な機能のうち、緊急時の航空機の受け入れ機能を築城基地および新田原基地へ移転するためのもの」だと言います。他の二つの機能は、オスプレイなどの運用機能を名護市辺野古の米軍新基地に移転し、空中給油機の運用機能は山口県の米軍岩国基地に移します(すでに移転完了済み)。

そもそもこの3つの機能の移転は、三位一体のものであり、一つでもかけたら普天間基地の全面返還はできないという性格のものです。ところが、辺野古の新基地建設は、沖縄県民の断固たる民意という政治的な側面でも、軟弱地盤という技術的な側面でも見通しはありません。それなのに、築城基地の米軍用施設の整備がすみしだい「緊急時使用の機能」の運用を開始するというのです。このままでは、普天間基地の運用も続いたまま、築城基地が米軍の出撃拠点としてつかわれることになります。

  • 辺野古新基地建設反対、普天間基地の無条件撤去をもとめる沖縄県民のみなさんのたたかいと連帯して、「築城基地の米軍基地化に反対し、米軍に運用させない」という一点で、自治体や県民のみなさんと共同を広げます。
滑走路延長に反対、日米共同訓練の中止を求めます。

築城基地で行われている工事は、主に、米軍の指揮所機能をもつ地上3階地下1階の庁舎と地上2階の庁舎の建設、米軍人200人を受け入れる宿舎の建設、米軍用の弾薬庫、3万㎡の駐機場、燃料タンク、そして、滑走路を300メートル延長して普天間基地と同じ2700メートルにして米軍の大型輸送機も着陸可能な厚みにすることなど、大規模なものです。滑走路以外は2022年度中に完成し、運用が始まります。予算は総額196億5900万円で、すべて日本国民の税金です。

緊急時使用は、「日米間での必要な調整に基づいて行う」(防衛省)というのですから、いつが緊急時かを決めるのは米軍しだいです。防衛省は、「緊急時とは、日米安全保障条約第6条に規定される、我が国の安全ならびに極東における国際の平和及び安全の維持にかかる様々なケースが考えられますので、一概に申し上げることは困難」「あえて申し上げれば、武力攻撃事態とか、武力攻撃予測事態、周辺事態等」といいます。「等」には、集団的自衛権を行使する安保法制の想定する「存立危機事態」――我が国と密接な関係にある他国に対する武力 攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅か され、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が 根底から覆される明白な危険があること――が含まれます。

さらに、米軍はこれまで、ベトナム戦争、アフガンやイラクでの戦争に在日米軍基地から出撃してきました。このように、日本が攻められていないのに、米軍が始めた戦争に在日米軍基地から出撃しているのです。ところが防衛省は、「米軍の運用につき、いちいちにつき申し上げる立場にございません。」とその事実を認めようとしないのです。

滑走路延長のための環境影響評価において、県知事から次のような意見が出されています。「航空機の運航については、供用後においても通常時の運用は現況と変わらない計画であること、米軍機の受け入れは緊急時のみと限定的であることや頻度や時期が不明であることから評価項目として選定していないが、事業実施区域の周辺には居住区域があり、騒音・振動及び低周波等の影響が懸念されるため、十分な期間の調査、予測及び評価を行い、極力環境を悪化させないという観点から、騒音の低減に積極的に努めること。」

これに対して、防衛省は、「自衛隊機による騒音、振動及び低周波等の現況調査は、従来から九州防衛局などが行っている調査地点の他に、学校や滑走路に近接する集落などの特定の配慮を要する施設の地点を追加したうえで、調査を行った」「こうした調査は、あくまで現況把握を含め、騒音対策の基礎資料とするために、実施したもの」というのです。つまり、今後飛来することになる米軍機の「騒音・振動及び低周波等の影響」についての「十分な期間の調査、予測及び評価」(知事)はやらないというのです。

宜野湾市の資料をみると、2019年3月8日~10日、岩国基地所属のF35B(外来機)が連日飛来し、3月10日の20:19の上大謝名で123・9デシベル(120デシベルは、ジェットエンジン直近の音に匹敵する騒音)を記録したといいます。市民から、「恐ろしい」「心臓が止まりそう」「人間が住む場所じゃない」という苦情が市に相次いだそうです。また、沖縄防衛局によると、2016年度に、MV22オスプレイが22:00~翌朝6:00までに116回離着陸しています。普天間基地の緊急時使用の機能の築城基地への移転によって、このような米軍機による夜間早朝の離着陸があるのではないかと住民のみなさんは危惧しています。ところが防衛省は、「米軍の築城基地の緊急時の使用は、日米間の必要な調整にもとづいて行うこととなりますが、緊急時の使用は様々なケースが考えられるところで一概に申し上げることは困難でございます。」とそうなることを否定しませんでした。

「12機程度の戦闘機、1機程度の輸送機及び200人程度の米軍人を受け入れられる施設を整備」しているというのですが、「具体的にどのような機種の航空機を使用するか、そのときどきの米軍の運用によって決まるもの」「現在、米軍において様々な戦闘機、たとえば、F15、F16、FA18、輸送機もC5、C17、KC135などが運用されており、これらの航空機が、築城基地を使用する可能性がある」と、あらゆる米軍機が飛来する可能性を防衛省は認めています。当然、爆音は自衛隊機とは比べ物にならないほどすさまじいものになるでしょう。ところが、防衛省は「緊急時使用というのは、基本的に限定的」なので、「通常の航空自衛隊の運用と基本的には変わらないと考えている」から、米軍機についての環境影響評価をする必要はないというのです。しかし、延長して厚くした滑走路にすることで、C5、C17などの大型輸送機が来るようになり、移転訓練に参加することになると認めました。これは、緊急時使用のための慣熟訓練を兼ねての訓練になるのでしょうが、今後の移転訓練の騒音被害が懸念されます。

  • 騒音被害が拡大する滑走路の延長に反対します。「移転訓練」は、沖縄の負担軽減につながっておらず、日米共同訓練の中止を求めます。

米軍と自衛隊が一体で「台湾有事」など対中国を想定した合同演習が相次いでいます。2022年10月1~14日、米海兵隊と陸上自衛隊が実施した「レゾリュート・ドラゴン22」(RD22、北海道矢臼別演習場など)は、東シナ海・南シナ海で離島を奪取し、ミサイル攻撃と進出の拠点を構築する「遠征前進基地作戦(EABO)」の大規模演習でした。米軍と一体の演習で「敵基地攻撃」行使へ危険な変質がいっそう進んでいます。

そうしたなか、2022年11月10日から19日まで、全国、とくに九州・沖縄の自衛隊施設や在日米軍基地を使用した大規模な日米共同統合演習(実働演習)「キーン・ソード23」が行われました。この演習には、自衛隊約2万6000人、艦艇約20隻、航空機約250機、そして米軍約1万人、艦艇約10隻、航空機約120機が参加。それに加え、オーストラリア軍、カナダ軍、イギリス軍の艦船も参加し、フランス、インド、ニュージーランド、フィリピン、韓国、NATOからもオブザーバーを招へいしました。まるで、「第三次世界大戦」が始まるかのような軍事演習です。

この一環として、2022年11月10日から18日には、築城基地に嘉手納基地の米軍が来て日米共同訓練が実施されました。演習項目は「戦闘機戦闘訓練等」で、参加規模は「タイプⅡ」、米軍嘉手納基地所属のF15×12程度、人員190名程度、航空自衛隊F2×12機程度とされています。米軍約190人は、基地外のホテルに宿泊をしました。この規模はちょうど「緊急時使用」で想定されている規模です。築城基地の米軍基地化がすすめば、この規模の訓練が日常化することになります。

  • 米軍と一体に「敵基地攻撃」行使に組み込む日米共同訓練に反対します。
福岡県を戦場にする米軍基地化を許しません。

米軍用施設整備とあわせて、自衛隊の司令部の庁舎が「老朽化が進んでいる」として建て替えをしていますが、重大なのは、建て替えに伴って自衛隊の指揮所機能を地下化しているのです。さらに防衛省は、「基本的には自衛隊のための指揮所ではあるものの、緊急時使用で米軍が使用する場合は、その地下指揮所機能を米軍側が使用することはございます」と回答しています。地下化した理由を防衛省は、「被害復旧に係る体制を構築する」ため、つまり、築城基地が攻撃されることを想定してのものだというのです。米軍基地化で築城基地が戦場になるということです。

  • 福岡県を戦場にする築城基地の米軍基地化は許しません。
県庁に基地対策室を設け、県民の声を国につきつけます。

2022年3月に行われた日米共同訓練では、110人の米軍人が行橋市内のホテルに宿泊しました。その際、米軍人がマスクをつけずに出歩き、酔っ払って飲食店に入る姿が目撃されています。米軍宿舎については、緊急時に受け入れる200人の米軍人が利用できるものが建設されていますが、米軍が基地外のホテルにも宿泊するかどうかは、「日米間の協議で決定する」(防衛省)というのです。つまり、米軍に希望があれば基地外の宿泊もありうるということです。

築城基地周辺の住民は、普天間基地周辺で起きている米軍による事故、事件、騒音被害、環境汚染などが「移転」してくることを強く危惧しています。全国知事会は、在日米軍基地がある都道府県で「渉外知事会」をもうけており、米軍板付基地がある福岡県もその一員です。福岡県は、渉外知事会で「基地対策室」がない唯一の県です。

  • 県庁に基地対策室を設け、地元市町とともに国に対して県民の声をつきつけます。

板付基地の全面返還

(4)米軍板付基地の一日も早い全面返還を求めます。

福岡空港には、「5日に1回」、民間空港で連続最多の米軍機が飛来します。

2018年、日本共産党の仁比聡平参院議員の要求で、2018年までの過去5年間に米軍機が全国の民間空港を利用した回数は、1605回にのぼったことが国土交通省の資料で分かり、米軍が平時から全国の民間空港を活発に利用している実態が浮き彫りになりました。5年間に米軍機が着陸したのは、北海道から沖縄県まで89カ所ある民間空港のうち、40カ所です。福岡空港は、2018年には349回、3年連続で全国最多でした。国土交通省によると、2021年も民間空港として最も多い「5日に1回のペース」で米軍機が飛来しました。

民間空港で唯一の米軍専用区域(米軍板付基地)がある福岡空港は、九州地区における在日米軍の輸送拠点です。

福岡空港の国際線ターミナル南側に隣接して、国内の民間空港で唯一の米軍専用区域(米軍板付基地)があります。

板付基地の入り口には、「AMC Air Terminal」の文字。AMC(航空機動軍団)は空軍の部隊の一つで、輸送機や空中給油機などを運用しています。米軍板付基地の建物とその周辺は、日米地位協定第2条によって規定された「米軍専用区域」になっています。また、滑走路と誘導路、一部駐機場が「日米共同使用区域」に指定されていて、基地として使えることになります。

現在、米軍専用区域には倉庫や駐機場があり、米本土の空軍基地に所属する大型輸送機も飛来しています。九州防衛局は「九州地区における在日米軍の輸送拠点として物資・人員等の輸送のために使用している」と説明し、福岡空港におろした弾薬を含む軍用物資を長崎県の佐世保まで陸送しているといいます。過去には、朝鮮半島有事を想定し、在韓米軍の家族を福岡空港に輸送する訓練も行われています。

かつて福岡空港全体が米軍基地だったころ、戦争への出撃拠点となり、墜落事故、米兵による凶悪事件が相次いでいました。

1945年の終戦から72年まで福岡空港全体が米軍板付基地として接収され、朝鮮戦争の出撃拠点となっていた歴史があります。当時、同基地や博多港が米軍専用とされ、福岡県民は、米軍機の墜落や米兵による婦女暴行、強盗など甚大な被害を受けました。

福岡空港はもともと旧陸軍の「席田(むしろだ)飛行場」として終戦間際の1945年5月に完成しました。戦後、米軍に接収され「板付基地」になります。1950年、朝鮮戦争が始まると、板付基地は偵察や出撃の拠点となり、1時間に50機もの米軍機が市民の頭上を飛んで行ったといいます。基地周辺では米軍機のトラブルが多発、20年あまりの間に109件の事故が起き、民間人20人が犠牲になりました。

そして1968年、日本に基地を返還するきっかけとなる事故が起きます。板付基地に向かっていた米軍の偵察機・ファントムが、九州大学の建設中の校舎に墜落。けが人は出ませんでしたが、学生たちは、バリケードを作って米軍の機体回収を阻止します。校舎にぶら下がったままのファントムの残骸は、7か月にわたって基地反対運動の象徴となりました。 当時、在福岡米国領事館が国務省に宛てた手紙には、「再び墜落事故が起きれば、世論は激怒し、我々は板付基地から完全に撤退せざるを得なくなるだろう」と書かれていました。

そうした中、さらに事故が起きます。1969年、アメリカに撤退しようとしていた偵察機が離陸に失敗し炎上。空港南側の道路を横切り停止しましたが、この道路は小学生の通学路にもなっていました。反対運動の盛り上がりは頂点に達するも、朝鮮半島有事の最前線基地である以上、アメリカは完全撤退するわけにはいきませんでした。そこで、基地を縮小することで事態を収束させます。1972年、基地は格納庫などの一部を残して返還され、「板付基地」から「福岡空港」に名称を変更しました。

県・市、超党派の議員、住民で、米軍板付基地の全面返還を求めています。

福岡空港は、福岡市の市街地に隣接し、滑走路が1本の空港では航空機の発着回数が全国トップです。国内・国際線の旅客機が最大で毎時35本の頻度で発着。加えて同空港に専用施設を置く航空自衛隊、海上保安庁の所属機、消防、警察、報道などのヘリコプターが離着陸し、混雑の解消が課題になっています。

福岡県や福岡市、超党派の議員や地域住民が加わる板付基地返還促進協議会は、空港内に残る約2・3ヘクタール(空港敷地の約0・7%)の米軍専用区域と滑走路などの日米共同使用区域の返還を求めています。

基地の全面返還を求めながら、税金で新基地を建てる矛盾――根本には、安保条約があります。

2021年、福岡空港の滑走路増設にともない、米軍専用区域(約2万2000㎡)にある老朽化した倉庫の3分の2を解体、更地にし、基地の施設の大半を移設し、建て替える工事が完了しました。工事費用の約30億円は日本側がすべて負担し、3分の1にあたる約10億円は空港法に基づき、福岡県と福岡市が負担しています。

RKB毎日は8月13日の放送で、県と市は、基地の返還を訴える板付基地返還促進協議会のメンバーで、返還を訴える立場でありながら移設費用を負担するという矛盾した状況について、服部誠太郎知事にインタビューしています。知事は、「(米軍基地は)増設工事実施上の支障物件であるということから移転が必要である。その一部を県と市が負担している。一方で、県民生活と空港の安全確保のため、国に対し基地の返還を粘り強く求めている。このように、それぞれに必要性、重要な課題に取り組んでいるものであり、これが矛盾しているものとは考えていません。」と発言しています。

在福岡米国領事館のチュカ・アシーケ首席領事は、日米安全保障を巡っては「アメリカと佐世保、岩国との強い絆は、日本における模範」と強調し、さらなる関係強化に努める考えを示しました。日米安保条約に基づく日米地位協定第5条は、平時からの米軍の民間空港利用を認めており、日米共同使用区域の滑走路や駐機場も有事の際には軍事作戦に使う構想があります。そして、問題の根本には日米安保条約があり、第6条(=全土基地方式)に基づいて日本全国の民間空港・港湾を米軍が自由に使えるようになっていることがあります。日本の独立と主権の問題として考える必要があります。

RKB毎日は、「住民の反対運動をきっかけに、基地の大部分が返還されて今年で50年。基地の全面返還を求める一方で、税金を使って新たな基地を建てるという矛盾が、今も続いています。」と結びました。

県立平和資料館を

(5)子どもたち、若い世代に平和のバトンを――憲法9条を生かし、福岡県を平和の発信地にします。

長年の市民運動が実り、2022年4月に北九州市平和のまちミュージアムが開館しました。市は、「先の大戦から70年以上が経過し、戦争を知らない世代がほとんどとなる中、戦争の記憶が風化していることが懸念されています。・・・そのため、貴重な市民の戦争体験や戦時下の暮らしを物語る日用品等を展示し、戦争の悲惨や平和の大切さ、命の尊さを考えるきっかけづくりを目的に、平和のまちミュージアムを開館しました。」としています。福岡市でも、平和資料館の設置を求める市民運動が行われています。

戦争と平和に関する博物館(資料館)は、県内に公設では、北九州市の他に、筑前町立大刀洗平和記念館や嘉麻市にある碓井平和祈念館(正面入口前には八女郡星野村(現八女市)から分火された「平和の火」が恒久の平和を願い灯されています。)があり、小規模ですが、筑紫平和祈念館(1945年8月8日の西鉄筑紫駅列車銃撃事件で被害を受けた待合所を、戦後70周年に保存施設を造り、移設)があります。他に、小竹町にある全国初の私設資料館である武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館)があります。九州・沖縄では、長崎県が10カ所以上、沖縄県が30カ所近くの平和資料館があります。

福岡県では、戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に伝えるため、1989年度から戦時資料展を開催し、県民の皆様から寄贈いただいた遺品等の展示を行うなどの取組みを行っています。その目的について県のHPでは、「戦後77年が経過して、戦争を体験した世代が高齢化し、今後ますます減少することが想定される中、悲惨な戦争の記憶を風化させないためにも、その教訓と平和の尊さを次の世代に継承していくことが、大変重要になっています。」と強調しています。他にも、県のHPで県内市町村が実施する戦争・平和に関するイベントの紹介をするとか、県教育委員会が2020年3月に「福岡県の戦争遺跡」(「福岡県文化財調査報告書 第274集」A4版232ページ)を発行するなどのとりくみを行っています。

県立の平和資料館は、県立として国内初の「戦争と平和」をテーマにした「沖縄県立平和祈念資料館」をはじめ、広島県、埼玉県、滋賀県などにあります。いまこそ、「戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に伝える」ために、福岡県としても常設の平和資料館の開設が求められます。

  • 子どもたち、若い世代に平和のバトンを手渡すために、県立の平和資料館(平和ミュージアム)をつくります。
  • 憲法9条を生かし、武力ではなく対話で平和を築く機運を醸成するために、アジアの人々と県民のさまざまな交流を促進します。

6 / 7