2014年7月8日
福岡民報2014年7月号
「原発と人類は絶対に共存できない」
県議5候補の福島原発被害地現地調査レポート
県議予定候補 まじま省三
来年いっせい地方選挙で勝利をめざす党福岡県委員会の重点県議予定候補5氏が、5月23日(金)と24日(土)の2日間、原発被害で苦しむ福島県の原発周辺地域の現地調査を行ないました。その概要を、まじま省三県議予定候補のレポートを紹介します。
参加者
県議予定候補:まじま省三(北九州市八幡西区、団長)、中村訓八(同小倉北区)、たかせ菜穂子(同小倉南区)、山口りつ子(同若松区)、立川ゆみ(福岡市東区)。この調査に、党国会議員団九州沖縄ブロック事務所所長代理の江田昭弘氏も参加しました。
主な訪問自治体や調査先
福島県浪江町~南相馬市~飯館村(仮設住宅を含む)~党福島県委員会で久保田仁・県委員長、阿部裕美子県議と懇談。
(※ 国が定めた一般人の平常時年間被ばく限度量は1ミリシーベルト。1時間あたりに換算すると0・114マイクロシーベルトになる)
福島第一原発から40キロ付近、許可証がなければ入れない浪江町の「帰還困難区域」。
浪江町海岸付近の津波犠牲者の慰霊碑で黙とう 福島第一原発から6・6キロ。福島の海岸付近は年中「海霧」が出るほど海からの風が強く、原発に近いけれども意外と線量は低かった。それでもホットスポットでは毎時4マイクロシーベルトを超えた。道路の左側が除染済み、右側が除染ができていないところでは、車中でも左の席の何倍も右の席の線量が高かった。
津波に襲われた浪江町の請戸(うけど)小学校の体育館。3月22日に予定されていた卒業式の横断幕がそのまま。海から500メートルしかないが、全校生徒職員が機敏に避難して助かった。福島第一原発から5・9キロ。
福島第一原発から5・9キロの請戸小学校からみえる福島第一原発の排気塔。
(※写真では不鮮明だが、遠くに見えるのが、福島第一原発)
南相馬市小高区 津波の高さはなんと電信柱の2倍、28メートルにも達した。写真は津波で20世帯以上、100人近くが流された海岸近くの高台の住宅地。福島第一原発から10キロ。
南相馬市 海岸から2キロ近く奥の道路の両側に漁船が放置されたまま。原発事故が復旧を止めている。
南相馬市 海岸から数キロ以上奥まで大破した車があちこちにそのまま残されている。
南相馬市 『福島民報』(地方紙)の販売店には、3月12日付けの朝刊が山積みされたまま。
常磐線小高駅前(南相馬市)の自転車置き場には、3・11の朝、近くの県立高校の生徒たちが通学して、置いたまま逃げた自転車がそのまま残されている。福島第一原発から16キロ。
昼間しか立ち入れない飯館村役場前で、日本共産党の佐藤八郎村議と合流。福島第一原発から39キロ。役場前は、4回除染しても、国の避難指示が遅れ、多くの村民が被ばくした。村の人たちは最初、津波で被災した「浜」の人たち1,600人を受け入れ、村の農産物で炊き出しをして支援していたが、その後国から、「飯館村は放射能汚染がひどいから、農産物は食べるな。ただちに全村民が避難せよ」と言われた。村の人たちは、自分たちが被ばくしたという苦しみだけではなく、「知らなかったとはいえ、汚染された農産物を『浜』の人に食べさせてしまった」という罪の意識に苦しんでいた。
飯館村の除染していない地域の側溝では、原発から50キロ離れているのに、サーベイメータ(毎時30マイクロシーベルトまで測定可能)の針が振り切れ、測定不能。恐ろしくなってその場をすぐ立ち去る。放射能汚染は、同心円状に広がるのではないことを目の当たりにした。
飯館村の人たちが避難している松川第2仮設住宅(福島市)で、福岡から送った野菜を配る。
飯館村の人たちが避難している松川第2仮設住宅(福島市)で村民に話を聞く。
飯館村の人たちが避難している松川第2仮設住宅(福島市)。最初は「ありがとう」とニコニコされているおばあちゃんが、話を聞いているうちに、「帰りたい、寂しい」「村に帰りたいが、帰ってももう子や孫とはいっしょに暮せない」と涙をこぼした。胸がつまった。飯館村はのどかな農山村で、孫、ひ孫まで同居していた。しかし、原発事故の後、若い人たちは、子どもを被ばくさせないよう遠方に避難し、村の周辺の仮設住宅にいるのは、高齢者ばかり。もう3年以上、仮設暮らし。
調査を終えて・・・まじま省三
原発を再稼働しようとする安倍政権に強力な「待った」がかかりました。大飯原発の再稼働差し止めを命じる福井地方裁判所の判決(5月21日)です。この判決は、憲法で保障された「人格権」が最優先だ、つまり、「国民の命とくらしを守ること以上に大切なものはない。だから、再稼働は認めない」という判決を下したんです。
私たちは、原発は「異質の危険」をもっている、ひとたび事故が起きたら、時間的にも空間的にも被害はどこまでも広がる、だから「人類と原発は共存できない」と訴えてまいりましたが、司法が同じ判断をしました。また、福井地裁判決は、政府や電力会社がさんざん「原発は安全だ」って吹聴してきた罪を、厳しく批判しています。
私が、この判決の中で一番感動したのは、国民の安全よりもコストを優先する考え方をきっぱり退け、こう言っているところです。「きわめて多くの人々の生命と電気代の高い低いは、次元の違う話で、天秤にかけること自体、法的に許されない」
もう一つ、日本の国富、国の富みは何かということについて、こう言い切っているのもしびれました。「たとえ、原発の運転停止によって、多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土と、そこに国民が根をおろして生活していることが国富であり、これをとりもどすことができなくなるということが、国富の喪失であると当裁判所は考えている」
こんな理性的な判決が原発に対して下された背景に、国民の世論と運動の力があります。国民のたたかいをいっそう強めようではありませんか。
福岡県でもこの3年余の間に、1万数千人規模の「さよなら原発集会」が2度開かれ、それ以外にも、北九州市をはじめ、県内の主要都市でも数千人規模の集会が繰り返し開かれてきました。玄海原発の再稼働中止・廃炉を求める訴訟には、8千人を超す人たちが原告に名を連ねています。
わが福岡県は、首都圏を除けば、もっとも原発ゼロの運動が活発な県です。ところが県議会では、自民党県議が、「早く再稼働しないと九電がつぶれる」って煽り、前九電会長が後援会長をつとめる知事も、原発に引き続き依存する姿勢を表明しています。
私たち県議予定候補5人は、福井地裁の判決直後の5月23、24日の2日間、福島県の被災地に入り、被災から3年余が経過した福島の実態、被災者の方がたの生の声を聞き、福井地裁判決の一言ひとことが「その通りだ」と腹の底から思いました。
原発事故のせいで3・11のまま時間が止まったままの浪江町や南相馬市、40キロ、50キロ先でも、帰れる見通しがないほど汚染された飯館村、すすまない除染と放射能汚染の深刻さ、被災者の方がたの先の見えない苦しみと国に裏切られた悔しい思いなどを生で聞いて、衝撃の連続でした。
一言で言って、「原発とは共存できない」ということを、肌身で感じてきました。
私たち県議予定候補は、福島を目の当たりにした大人の責任として、「原発のない日本」を子どもたちに手渡さなければならないという思いを強くしています。
この間、5人の県議予定候補は、政府原子力規制委員会、九州電力本社と交渉をしました。再稼働に暴走する安倍政権の姿勢を反映して、「過酷事故が起きたら5キロ圏の住民をまず避難させる。5キロから30キロの人は1週間ぐらい家の中で待機してもらう。規制基準を厳しくしたので、30キロより外の住民の避難計画はいらないでしょ」(原子力規制委員会)と言い放ちました。
私たちは、原発の最初の再稼働がねらわれているこの九州で、「原発とは共存できない」という福島の実態を訴え、再稼働阻止へ全力を尽くします。「原発のない日本を」願う県民多数の声を、全力で県政に届ける日本共産党を、来年4月の県会議員選挙で何としても大きく伸ばしてください。